2月26日 主日礼拝(オンライン)

2月26日 主日礼拝(オンライン)
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書 20章29~34節

「願い」とは何か。
私の願いはなぜかなわないのか。
自分勝手な思いを表すことが「願い」なのか。
「願い」とは何か。
二人の盲人が主イエスに願い出る。
見えるようになりたい、と。
この直前、二人の弟子が主イエスに願い出た。
イエス様が王位につく時、私たちを一番にしてください、と。
二人それぞれが願い出る。
弟子たちの願いは退けられ、盲人の願いは聞き届けられる。
両者の願いのどこに違いがあるのか。
「願い」とは何か。
弟子たちの願い。
自分たちは今は普通のもの。
だが、来たるべき時が来たら、今と違う身分にしてください。
今の自分にないものをください。
ないものを求める「願い」。
盲人たちの願い。
彼らも視力を持っていない。
自分にないものを一見、欲しているようにも思われる。
盲人の願いを聞いて主イエスは彼らに近づく。
そして目に触れる。
彼らの体、彼らの持っているもの、彼らに備わっているものに触れる。
視力はない。
だが「目」はある。
盲人の願いは何か。
自分にあるものが機能していない。
私が私になっていない。
私にしてください。
自分にないものを欲しているのではない。
自分自身を欲している。
私が私になれますように。
「願い」とは何か。
なぜ、私の「願い」はかなわないのか。
私にないものは私に必要でないから。
邪魔なだけだから。
私にないものを求めるのが願いではない。
私にないものなど、どうでも良い。
私に備わっているものが十分に働いていないことが自分にとって、社会にとっての損失。
私の賜物、私の使命、私の仕事
それをちゃんと果たす。
イエス・キリスト。
ご自分の使命をちゃんと見つけ、それを果たした。
十字架。
ご自分の使命を全うした。
十字架への道のりを覚える季節、受難節が始まった。
キリストに倣う。
私が私の使命を見出す。
その使命は世から歓迎もされない。
応援もされない。
艱難が伴う。
それでも私の持っているものが全うできるようにと願う。
私の目を見えるようにしてください。
私は私を引き受けます。
受難節。
私が私に立ち返る。
それを願う時。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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