希望がある

 2018年5月20日 森下滋伝道師

コロサイの信徒への手紙 1:1-8 

 教会の塔に付いた十字架は自分にとって遠く感じる。

キリストは苦労したが幸せな男子だ。

私はそのように赦してくれるならば、

自らの首を垂らし、

流れる血を天の底に流そう。

いや、それは出来ない私がいる。


韓国の国民的詩人の尹東柱はこう詩を書いた。

日本による統治下において希望が持て無い。

彼のようにキリストへの信仰を持ちながらも心が引き裂かれる時に、

私たちには何が希望なのであろうか。

教会は希望が持てない人に対して何を希望として語るのか。  


コロサイの若い教会に向けた手紙。

神の御心は時に受け入れ難い事があるとパウロは告げる。

しかし私たちの生命の中心であるキリストの内にあれば、

平安があり、

更なる祝福の契約に招かれている。 

神の家族となる。


コロサイ教会が持つ信仰と愛は、希望を通して今も継続して天に蓄えられている。

この信仰は儀礼的な宗教的信心では無い。

何が真実であるのかを理性的に求める信念と献身のセットである。

私たちが理解して伝える事ができる為に神は言葉、キリストは言葉として私たちに現れて下さる。


福音という真理の言葉。

主イエスの十字架での死と復活を伝える言葉により、

私達に決定的な価値転換が起きた。

神の恵みを聞いて真に悟る日が与えられる。

その恵みにより私たちは成長する。


パウロは問う。

私たちは友のためにキリストに信念を持って奴隷となっているか。

 霊とは何か。

霊は愛を生み出す。

それは人間的な愛情以上のものである。

私たちの為に希望が天に蓄え続けられている。


 希望を聞こうと受け入れようとしないのは私たちの罪の故である。 

自分を人生の中心におく事と決別する。


キリストの奴隷となり、神と教会と友に仕える。

ペンテコステの今日から私たちは真理を伝える者に変えられる。


主イエスは私たちに決断を求める。

私たちが手放したく無いものを手放し、

主イエスの十字架の愛を受け取り従って行く。


希望の道を歩もう。

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