6月18日 主日礼拝

6月18日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書23章23〜36節

イエスはファリサイ派、律法学者を手厳しく批判する。
物を捧げるのに熱心だが、正義、慈悲は疎かにしている。
器の外は綺麗だが、中身は強欲と放縦で満ちている。
イエスから見てのファリサイ派と律法学者
外と内が違う者。
外、見えるもの。
内、見えないもの。
律法学者たちは見えるものは大事にするが、見えないものには心を配らない。
これは彼らだけの特徴か。
見えるもの、見えないもの
この違いは何か。
見えるもの
他者と共有できる。
見えないもの。
私だけにしか分からないもの。
見えるもの。
成績、富、地位、
人に見てもらえる。
人の評価がついてくる。
人と共有できる。
私たちが普通にしていること。
この普通にしていることを続けていくとどうなるのか。
イエスの言葉だと神の言葉を預かった預言者を迫害し、殺したのは皆、そういうもの。
この世界で起こる戦争も同じではないか。
見えるものを追いかける。
資源、領土、知的財産。
見えるものを追いかける
大事なものが分からなくなってくる。
見えないもの。
これは一体何か。
私にしか分からないもの。
人と共有できないもの。
人からの応援が期待できないもの。
それでも私にだけには分かるもの。
あなたは地の塩、世の光。
私の塩味、私の光
私の賜物、私の使命
神から与えられたもの
私にしか分からないもの。
これを大切にする。
これを磨く。
見えないものを大切にする。
ただ見えないものを大切にすることは人から評価をされないことかもしれない。
富も、地位も得られないかもしれない。
見えないものを大切にする。
それは苦労でしかないのではないか。
なぜイエスは私たちに苦労を勧めるのか。
見えないものにとどまれ。
見えないものと向き合え。
それが苦労なのは百も承知。
それでも見えないものと格闘しろ。
見えないものと出会えるから。
見えないもの
神と出会える。
我々の人生の目的は何か。
幸せになること。
見えるものを追いかけても幸せを手にすることはできる。
だが他者に喜ばれることばかりに心が乗っ取られ、
他者に支配されたその人生は「幸せ」と呼ぶに値しているのか。
見えないものを追い続ける。
私はこういうものだったのか。
世界はこういうところだったのか。
この世はこういうものか。
他者のバイアスが、かからなければ澄んだ視界が広がってくる。
本物、真実、真理。
見えないものを求めていけば必ず出会える。
見えないものと出会いたければ、
見えないところに留まり続けるしかない。
見えない神と出会う。
人生の最後の目的ではないのか。

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