7月9日 主日礼拝

7月9日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書24章3〜13節

終わりはどうなるのか。
イエスは最後の一週間、世界の終わりについて語り出す。
ひどいことが起きる。
そこから誰も避けられない。
イエスが弟子たちに告げたと。
避けられない現実で人がまずしなければならないこと。
惑わされるな。
偽物の言葉と本物の言葉があるということか。
おそらく違う。
本物の言葉も惑わされる言葉になってしまう。
惑わされる。
それは語られている言葉に原因があるのではない。
聞き手
私の聞き方に原因がある。
人類が出会った最初の惑わし。
蛇の言葉。
蛇が言ったことは二つ。
お前は不十分だ。
それを補え。
これのどこが間違っているのか。
当たり前に言われている言葉。
学校から企業、国家まで、この蛇の二つの指摘に呼応して動いている。
これのどこが惑わしなのか。
聞き手がそれにすがること。
その言葉に依存すること。
創造神話では人は神に似ている。
神の息吹を受けて誕生している。
神と等しいもの。
不十分でも、補わなくてはならないものは何もない。
蛇の言葉とは何か。
私に必要のないもの。
私自身と関係のないもの
私以外のもの。
私以外のもに依存する。
私以外のものを私に貼り付ける。
惑わしの構造。
惑わされるな。
私以外のものを私に貼り付けるな。
それは偽の情報から始まって、噂話、未確定なもの、おそらくは私たちが真実だと思っているものまで全てを含む。
どんなに正しいものであっても、それに私が依存すれば、それは惑わしの言葉になる。
聖書や、教会の教義も同じ。
これに依存をする、私に貼り付けて、これが私だと思い込めば、私は偽りのものになる。
聖書が、神が人に伝えたもの。
お前は全部持っている。
世界の終わり、ひどいことが起こる。
それに耐え忍んだものは救われる、とイエスは語る。
終わりの先に行く。
忍耐を時間の経過で得られるものと考えてはならない。
何も考えずに災いに遭遇すれば必ず、人は乗っ取られる。
自分の心に自分以外のものが張り付く。
忍耐とは何か。
自分以外のものに気がつき、それを剥がす。
剥がして、また、自分以外のものが張り付いていることに気がつく。
そしてまた剥がす。
自分と向き合い、自分の心を研ぎ澄ましていく。
修練。
乗っ取らせない。
それが忍耐。
今日、読んだ聖書の最後にある言葉。
「最後まで耐え忍ぶものは救われる。
そして、御国の福音は全世界に宣べ伝えられる。」
実際にイエスが語ったものか、福音書記者の創作か、そこは不明であってもローマ帝国との緊張の中で語られたことに変わりはない。
ガリラヤから出て来た一集団。
吹けば飛ぶような集団にしか見えなかったはず。
それが自分たちの言葉は「世界に宣べ伝えられる」との言葉を保存した。
それから2000年後、私たちは知っている。
彼らの言葉は「世界に宣べ伝えられた」と。
自らを研ぎ澄ませていく心の在り方。
必ず伝わり、終わりの時に忍耐ができ、全てを超えていく。
人が心の奥底で求めているもの。
本当の心の在り方。
本当の自分。
聖書を読んだ私の心は、
人が求め、世界が求めている心の在り方を示すものになっているのか。

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