7月16日 主日礼拝

7月16日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書24章15〜31節

真っ暗な時が来る。
イエスの言葉は世界の終わりについて語ってはいるが、
それはブラックホールに飲み込まれる直前のことと限定する必要はない。
私たちの人生の中で、経験する真っ暗なこと。
家族、学校、職場、地域、国家、世界が経験する真っ暗なこと。
そこについて語っていると受け止める方が主イエスの思いに促している。
真っ暗な時にどうすればいいのか。
真っ暗な時に現れるもの。
「見よ、あそこにメシアがいる」
「解決策がある」
「あなただけが助かる道がある」
「こうすれば闇から脱出できる」
真っ暗な時、そういう言葉が立ち現れる。
それについて行くな、と主イエスは言う。
偽物の言葉があれば、本物の言葉があるのではないか。
私たちは期待する。
だが、主イエスはそれも否定する。
どんな言葉も偽物
役に立たない言葉。
なぜなら「真っ暗」「闇」「終わり」とは人が太刀打ちできるものではないから。
圧倒的な現実の前で人はどうすることもできない。
それが「闇」。
その闇に対して私たちはどうすればいいのか。
「人の子がやってくる」
神が次を準備している。
真っ暗な時に人ができること、
するべきこと。
神に委ねる
神を待つ。
自分の力、他者の助言、
それを頼りにしても何も始まらない。
人の力を捨てて、神を待つ、信じる。
それが闇との向き合い方。
言われていることはそれだけのこと。
言われていることはおそらく2000年前にイエスが弟子たちに語ったもの。
その言葉は福音書記者が記録し、聖書として保存されて来た。
イスラエルで語られた「言葉」はローマ、ラテン社会に入り、後にヨーロッパと自覚される地域に普及して行く。
その後、大西洋を渡りアメリカ大陸に入り、さらに太平洋を渡りアジアの国々にも伝播された。
キリスト教、教会を国の中心に据えているものもある。
イエスの言葉が語られてから人類は度々、闇に遭遇して来た。
その時、私たちはどのように対処してきたか。
「見よ、あそこにメシアがいる」
「解決策がある」
「私たちがこの闇から逃れる方法がある」
身を固めろ。
人より秀でた武具を身に付けろ。
知識、情報、権力、富。
武器を取れ。
最後は力だ。
自分の力でこの闇を打破しよう。
結果何が残ったか。
人類の心に深い傷を残し、環境を、地球をボロボロにして来た。
イエスが語った闇へ向き合う姿勢。
神に委ねる。
神を待つ。
この言葉を知っていながら人類はこれを実行していない。
イエスを信じていない。
なぜ出来ないのか。
イエスの言葉を実行するためにはどうすればいいのか。
あなたは地の塩、世の光
私に与えられた私だけの使命。
それを見つけ、磨き、果たして行く。
日々の鍛錬。
それを人類は怠ってきた。
自分に、神に向き合わず、人の評価に耳を傾けてきた。
人に称賛されれば自信をつけ
批判されれば消沈する。
人に振り回され、自分に託された使命に見向きもしない。
「あそこにメシアがいる」
「これが答えだ」
人の言葉にすがり、人の力で闇に対処しようとしてきた。
そうして自分たちを傷つけてきた。
闇と直面した時、神を信じる。
日々の鍛錬なくして、この決断はできない。
私の塩味、私の光
人に評価されようが、批判されようが、これが私の使命。
誰からも影響されない、自分の「過去」や「未来の夢」などという人の作ったものに影響されない。
本当に心から信じられるもの。
それを求めているのか。
それを磨き、果たしているか。
自らと向き合う心の鍛錬。
それが人類が今までなしえなかった「闇」と向き合う心を作って行く。
その心が手に入れば
その心があれば
闇を乗り越えていける。
イエス・キリストが闇を超えたように。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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