7月23日 主日礼拝

7月23日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書24章32〜35節

天地が滅びても私の言葉は残る。
私の言葉とは何か。
イエスの最後の一週間。
自らの最後を迎えるにあたり、
「最後」とは何かをイエスは語る。
最後を迎えるにあたりイエスが勧めているもの
「区別」
滅びるもの、滅びないもの
その「区別」をつけること。
それが最後を迎えるにあたっての心備え。
私の言葉
イエスはこれまで何を語ってきたのか。
あなたは地の塩、世の光
自分自身を見出すことを語って来た。
人は誰しも自分を見いだしていない。
他人の言葉、自分の過去、未来
自分以外のものに心奪われ、自分を見ることを疎かにしている。
自分を見る「目」を失っている。
本当の自分があることを忘れている。
蛇に唆され
自分が不十分であると思い込まされ
未来の不安を植え付けられ
神を忘れた。
自分を見失った。
それが我ら人類。
「区別」をつけろ。
自分と他者の区別をつけろ。
自分にできることは何か。
自分次第のものは何か。
他者は自分次第のものではない。
自分がどうしたって、それをコントロールできるものではない。
自分次第でないもの。
自分にはできないもの。
ならば、それに振り回されるな。
それを手放して行け。
他者の評価
自分の過去、未来の世界
私にどうすることができるのか。
どうすることもできないものに心を留めておくな。
区別をつけろ。
私ができること
何か。
私の身体
私の自由にできるのか。
私のものだと思っている私の身体
髪の毛一本すら私たちは黒くも白くもできない。
私は自分の身体ですら自由にできない。
私の身体
私次第ではないもの。
区別をつけろ。
私から手放して行け。
区別をする。
それは本当の自分とは何かを探すこと。
自分でないものを手放した時に何が残るのか。
本当の自分
最後に残るもの。
それが私の言葉
滅びないもの。
イエス・キリストはそれを見つけた。
十字架に赴く。
自分でないものに心を奪われない。
身体、肉体、
そこに「自分」はない。
そこに「命」はない。
自分、命
それは朽ちるものと共にあるものではない。
自分、命
それは朽ちないものと共にある。
神と共にある。
永遠の命。
私は神と共にあるか
朽ちないものと共にある。
朽ちないものであると思っているか。
私とは何か。
私と私以外のものを区別する。
いずれ迎える「最後」への心備え。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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