1月14日 主日礼拝

1月14日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

ルカによる福音書 5章1〜11節

イエス・キリストを信じるとはどういうことなのか。
主イエスがペテロを弟子にした物語から考えていく。
夜通し漁をして何も捕れなかった漁師のペテロ。
おかで網の手入れをしている。
そこにイエスがやってきて船を出してくれと頼む。
ペテロの船に乗り、丘にいる群衆に語りかける。
群衆への話が終わるとイエスはもっと沖に漕ぎ出すように伝える。
そこで網を打てと。
夜通し漁をしても何も捕れなかった。
ただ、先生のご希望なら、と網を放つ。
するとおびただしい魚が捕れた。
イエスを信じるとはどういうことか。
ペテロは魚が獲りたかった。
だが、それがかなわなかった。
願い、希望、計画、夢。
私たちにもこうであってほしいという思いがある。
ただ、それは必ずしも実現するものばかりではない。
思いが実現しない。
自分と現実との間には開きがある。
現実とはこんなもの。
自分とはこの程度のもの。
現実と自分との間に境界線を設け、それに納得をする。
諦める、という納得。
魚が獲りたい。
それが、あなたの願いなら、もう一度、網を打て。
同じことを
あなたがしたいことをもう一度、してみろ。
現代の私たちにはイエスの励ましの言葉は聞こえない。
イエス様がいないから。
だが、それは本当か。
あなたは地の塩、世の光。
私には私だけの使命がある。
それがあるにもかかわらず、それが見えなくなる。
それが聞こえなくなる。
他者が気になるから。
他者の言葉に引っ張られるから。
他者、自分以外のもの。
それは自分の過去も同じ。
今の自分でないもの、過去。
それに引っ張られる。
できなかった自分。
失敗した自分。
それに引っ張られる。
そして、今の自分でないにもかかわらず、それが自分だと思い込む。
私でない私が出来上がる。
網を打て。
それがしたいのだろう。
それが願いだろう。
ならばそれをしろ。
あなたの本当にしたいこと。
それをしろ。
おびただしいものが手に入る。
あなたの願いが手に入る。
ただ、そこが終わりではない。
あなたの願いのその先にさらなる願いがある。
「今から人をとる漁師にする」
あなたの願いのその先に神の願いがある。
神が備えているものがある。
あなたが気がついていない、あなたの本当にしたいこと。
イエスを信じるとはどういうことか。
私の願い、その先の本当の願い
それに気がつく。
本当の私に気がつく。
イエスを信じるということ。
本当の私を知るということ。
本当の私になるということ。
私のしたいこと。
もう一度、網を打て。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

0コメント

  • 1000 / 1000