立ち上がって、行きなさい

2018年11月18日

嶋貫佐地子牧師

ルカによる福音書 17章11-19節 

 ひとりぼっちはつらいものだ。

 しかし考えるに人間の一番の孤独は神を見失うことである。 

これはそんな人間の「孤独病」の癒しである。


 重い皮膚病を患った十人の人が、主イエスをはるか遠くに立って出迎えた。 

「どうか、わたしたちを憐れんでください」。 

それは大きな声だった。  

彼らは汚れた者とされていたから、

人に近づくことが許されなかった。

宿営の外に独りで住まわねばならず、

彼らはサマリアとユダヤの境に追いやられていた。


 主は彼らを憐れみ、

「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。

彼らは主のお言葉だけを信じて歩き出したが、

その途中、病が癒された。


これで祭司に病が癒されたことを証明してもらえれば、

彼らは普通の人として生きていかれる。

だがその中の一人が、自分の癒されたのを見て、

祭司の所に行く前に引き返し、大声で神を賛美しながら主イエスの許に帰って来て、

足もとにひれ伏し、感謝した。 

その人はサマリア人だった。


 主は言われた。

「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。

この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」

 神を賛美するために帰ってきたのは、あなたひとりだけか、と。

 他の九人はおそらくユダヤ人であった。

彼らは感謝よりも自分の生き場所を優先した。 

しかし一人が帰ってきた。

この人はどんなことよりも溢れる感謝を止められなかったのだ。

 主はこの人に、

お心を打たれたのではなかろうか。

だから他の九人はどこにいるのかと悲しまれた。

そしてこのサマリア人を愛し、喜ばれた。


主はその人に言われた。 

「あなたの信仰があなたを救った」。


 イザヤ書第53章の苦難の僕は主イエスを歌う。

「彼が担ったのはわたしたちの病」。

その症状はこの重い皮膚病を思わせる。

彼は軽蔑され、

やがて殺される。


人間の孤独病は、この方がすべて負ったのだ。 

しかしそれゆえ、彼は神からおびただしい人を受ける。

 体の病が治っても、

 その主の許に帰らなければほんとうの救いにはならない。 


主はエルサレムに向かわれる途中であった。 

このサマリア人が、大声で神をほめたたえながら帰ってきたことが、

どんなに主の慰めになったことか。  

思うに、この人はユダヤ人に軽蔑されていたサマリア人であったから、

あの十人の中で、自分は癒しから最も遠いと思っていたであろう。

しかしそんな自分が癒された時、

この人は神を見た。

自分は神に見捨てられたと思っていたのに、

神は自分を捨てられなかった。


その時、彼はほんとうに帰るところが見つかったのである。

帰るところのなかった自分に、

ほんとうに帰るところが見つかった。


 神をほめたたえられたら、人は孤独ではない。 


主はその人を喜び、起こしてくださる。 

「立ち上がって、行きなさい。 

あなたの信仰があなたを救ったのだ。」  

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