5月19日 ペンテコステ礼拝

5月19日
ペンテコステ礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

使徒言行録 2章1〜13節

ペンテコステ
イエスが十字架にかけられた過越の祭りから50日目の日。
十二人になった弟子たちが集まっていた。
そこに激しい風のような音と共に炎のような舌が分かれ分かれになって弟子たちの上に留まる。
すると彼らは霊が語らせるままに他の国々の言葉を語り出す。
諸外国からエルサレムに来ていた人々は
自分たちの故郷の言葉をガリラヤ出のイエスの弟子たちが話しているのを聞いて呆気にとられる。
この物語は私たちの何を語っているのか。
私たちは言葉を持っている。
母国語のみならず、
自分の考え、自分の主張
言葉を持っている。
自分の言葉があれば他者の言葉がある。
自分と異なる言葉がある。
自分と異なる言葉
自分の思いと相反する言葉
それと出会ったとき、私たちはどうするか。
自分の言葉を強固にしよう
自分の言葉を補強しよう
相手に負けない言葉に鍛え上げようとする。
自分と違う言葉
それをなんとかねじ伏せようとする。
私たちが日常的に当たり前にしていること。
その私たちの現実に対してペンテコステの物語は問いかける。
聖霊、
神の霊が弟子たちに降り注がれる。
エジプトの言葉には多く聖霊が降った
しかしパンフリアの言葉には聖霊が少ししか降らなかった
ローマの言葉は大事にされたが
その他の言葉は焼き払われた
ペンテコステの物語はそうはなっていない。
どの言葉にも降り注がれた。
複数の言葉の間に差異は記されていない。
聖霊は全ての言葉を語らせている。
全ての言葉は聖霊とつながっている。
神とつながっている。
全ての言葉が神の言葉になっている。
私たちはペンテコステの物語から何を聞くのか。
私の言葉
あの人の言葉
かの人の言葉
そこに優劣はない。
すべてが等しい。
ならば自分の正しさを主張できるのか。
全ての言葉を自分の言葉と同じように扱う。
それが求められているのではないか。
理想はわかる。
ただ、私たちはどうしても反論したくなる。
でも、あの主張を聞き入れたら、私たちの集団は立ち行かなくなりますよ。
あんな言葉に価値はない。
間違った言葉を引き受けけるなど、愚の骨頂だと。
自分と違う言葉を引き受ける。
できないのか。
もし、できるとすれば、どうすればいいのか。
聖書の世界観
創世記の物語
神が世界を造った
その時、
神は自分の造った世界を見て、良しとされた。
この世界は良い
それは私たちが何をしようがしなかろうが
この世界は良い
全く変わらない
それが聖書の世界観
変わらないのなら
何故、恐れるのか。
間違っていると思える言葉をどうして恐れるのか。
受け入れてもいい
聞き入れてもいい
世界は何も変わらない
良いのまま
全ての言葉は神とつながっている。
全ての言葉に優劣はない。
良いの世界の中では違いはない。
もし、それが実行できたとしたら何が生まれるのか。
人類が未だ出会ったことのない
平和が生まれる。
ペンテコステの物語
言葉は全て同じ。
世界はいつでもどこでも同じ
良い
それが世界の本質。
あの人の言葉を
あの国の言葉を
私はどのように聞くのか?
物語に私たちはどう答えるのか?

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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