12月1日 主日礼拝
12月1日 主日礼拝
ルカによる福音書1章5〜25節
伊藤大輔牧師
天使ガブリエルは、年老いた祭司ザカリヤに子供が授かることを伝える。
ザカリヤはその言葉を受け入れられない。
なぜならば年老いているから。
ガブリエルの言葉を受け入れられない理由。
歳をとっている。
子どもが授かる。
もっと若い時ならそれはあり得る。
それを期待していた。
だが、今となってはそれは不可能。
過去ならば、それはわかる。
今はもう過ぎ去ってしまったもの。
ガブリエルはそれを否定する。
お前は信じていないと告げる。
ザカリヤの世界観
今日は過去の延長
過去が流れ込んできて今がある。
人は誰しも過去からの延長で今を判断する。
過去にこんなことをした人
あんなことをした人
その過去を延長させて判断を下している。
ガブリエルは違う。
過去があること
そんなことは分かっている。
その上で子どもが生まれると告げている。
ガブリエルは今は過去の延長としていない。
今は今
過去と違うのが今の本質。
過去と違うものがある。
過去と別ける。
私たちはそれができない。
何が欠けているのか?
信じる。
その覚悟。
今は過去と別のもの。
信じることでしか過去と違う今を定めることはできない。
過去と決別ができれば新しい世界が見えて来る。
新しい隣人が
新しい自分が
新しい世界が現れて来る。
今日の世界は昨日とは違う。
信じる。
敵も、不愉快な相手も、課題の多い他者も、許し難い自分も、
それらは全て昨日のもの。
今日は違う。
昨日のものではない。
信じる。
信じれば、愛が生まれて来る。
愛せない、憎い、ひっかかる。
すべて過去と決別ができていないから。
今は過去ではない。
区別をする。
過去と決別をする。
今は過去にも、何にも支配されていない。
依存もしていない。
今は今
ただそれだけ。
ただそれだけ。
愛も同じ。
条件が整って生まれるのが愛ではない。
依存も、支配もないところで生まれるのが愛。
ただそれだけで成り立つもの。
何にも支配されない「今」「愛」
そして私も同じ
何にも支配されないのが本当の私。
私とは何か?
今、愛に生きる。
それが私。
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