1月26日 主日礼拝
1月26日
主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
使徒言行録 10章1~8節
使徒言行録
登場人物、主人公を入れ替えて進んでいく物語。
ここではペテロが主人公。
ペテロ
イエスと同じように癒しの奇跡を行う者。
イエスの名前を使って奇跡を起こしていた。
それがイエスの名前を使わずに、
イエスと同じようにただ命じるだけで奇跡を行うようになっていく。
イエス・キリストはペテロの外にあるのではない。
ペテロの中に
ペテロ自身がイエスを生きるようになっていく。
イエスを生きる。
そのペテロが次に直面すること。
常識への挑戦。
文化、常識の中で許されていなかったこと。
異文化、異邦人と交流を持つこと。
そこへとペテロは導かれる。
使徒言行録という物語自身がこの常識に挑戦をしている。
神が異邦人に現れると告げる。
ペテロと異邦人の出会いが必要ならば、
神はペテロだけに現われれば事は足りる。
神がペテロに「異邦人へ会いに行け」と言えば、それですむ話。
ところが物語は神が異邦人にも現われたとしている。
民族の神
こちら側の神
だからこちらは優れている。
あちらには神はいない
だからあちらは劣っている。
優劣、上下の決定化。
選民思想。
使徒言行録にそれはない。
こちらにも神は現れる。
あちらにも神は現れる。
こちらとあちら
何が違うのか。
何も違わない。
こちらもあちらもない。
物語は選民思想を乗り越えている。
神は異邦人、ローマの軍人、百人隊長のコルネリウスに告げる。
ペテロを招いて来い、と。
その結果何が起こるのか、何も告げない。
分からぬまま行けとだけ言う。
これはペテロにも同じ事。
異邦人がやって来る。
その者と共に行け、とだけ告げられる。
行ってどうなるのか、どうすればいいのか何も告げられない。
分からない。
イエスを生きる。
神を生きるとはどういうことか。
分からないを生きること。
神
人の脳に収まるはずのない相手。
理解、納得の及ぶ相手ではない。
分からない
分からないは拒絶をする対象ではない。
分からないは未来の入口。
希望の始まり。
分からない。
拒絶をする相手ではない。
異邦人
分からないもの。
拒絶をすれば何も見つからない。
分からない。
そこで求められているもの。
愛すること。
分からないものを愛せるか。
ペテロが問われ、
我らも問われている。
分断、争いか
友愛、平和か
私たちの選択が未来を形作っていく。
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