5月4日 主日礼拝

5月4日

主日礼拝

礼拝説教

伊藤大輔牧師

ルカによる福音書24章36~53節

復活後のイエスが弟子たちに告げたこと。

「悔い改め」が与えられる。

悔い改めとは何か。

反省と何が違うのか。

同じなのか。

反省。

法に照らして違うことをした時に求められるもの。

人に害を与えてた時に、必要とされるもの。

反省。

自分でないもの。

他者が基準になって生み出されるもの。

悔い改め。

他者と関係なく、自らの内に生まれるもの。

それはどういうことか。

アダムとエバの物語。

人は蛇に唆されて善悪の知識の木の実を食べてしまう。

ここに人の在り方が語られている。

蛇と対峙した時に人は何をしたのか。

神から言われた言葉を人は知っていた。

蛇から言われた言葉も耳に入っている。

人がもし、単純は機械仕掛けの操り人形のように神に造られていたとしたら、

ただ、神の言いなりになる存在であったかもしれない。

神の言葉も聞き、蛇の言葉も聞き、結果、神に言葉に背くことになる。

この時、人は何をしていたのか。

人はどういう能力を持って造られた存在なのか。

神の言葉を聞き、蛇の言葉を聞き、

ここで人がしたこと。

考えている。

人はどういう存在か?

考える者として造られている。

考える。

言葉を止めないこと。

言葉が止まった時、何が生まれるのか。

「答え」が生まれる。

嵐にあった時、弟子たちは「もうおしまいだ」と言葉を止めた。

それが答えだと思った。

足に不自由な者、目の見えない者、生まれつき。

誰しもが思う。

それが答えだと。

そこから言葉を紡ぎ出そうとはしない。

病の末に命を失った者。

「死」

そこから何を考えることができるのか。

それが答え。

どんな言葉も不要と誰もが判断する。

嵐に出会った時にイエスは嵐に向かって言葉を発する。

「静まれ、黙れ」と。

病んでいるものに向かってイエスは言葉を発する。

「立て」と。

死んだものに向かって言葉を発する。

「出てこい」と。

誰しもが先の言葉がない。どんな言葉も無駄だと思っている時にイエスは

言葉を発する。

「答え」の前で言葉を捨てていない。

考えている。

問うている。

その先の言葉を生み出している。

悔い改めとは何か。

言葉を止めないこと。

「これが私」

「これが正しい」

それを答えにして、言葉を止めない。

問う。

考える。

自分に問いかける。

自分に挑戦をする。

それを悔い改めと言う。

復活のイエスが「悔い改め」が、この世界に与えられたと言う。

復活。

変わらない。続くこと。

「悔い改め」

問う。考える。自らに挑戦をする。

変わらない。続くこと。

続けながら、人は真の世界、神の造った世界に出会っていく。

真の自分に出会っていく。

悔い改め。

人に与えられた神からの恵み。

その恵みを人は味わっているのか。

私は悔い改めているのか。



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