6月22日 主日礼拝
6月22日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
使徒言行録14章8〜20節
偶像と神の違いは何か。
正しい信仰と間違った信じ方の違いは何か。
パウロの奇跡を目の当たりにしたリストラの人々。
パウロを神だと言う。
なぜ「神」だと言ったのか。
人にできるはずのないことをしたから。
奇跡を起こしたから。
人には「できること」と「できないこと」がある。
それがリストラの人々の世界観。
これに対し、パウロは言う。
「自分たちはただの人間だ」
「あなたたちは偶像を拝んでいる」
人とは何か。
創世記の物語は告げている。
神に似ているもの。
神の命をいただいているもの。
神に「これで良い」と言われているもの。
人は完成している。
できないものは何もない。
奇跡
パウロにとってはそれは奇跡でもなんでもない。
当たり前に人ができること。
自分にできること。
誰にだってできること。
リストラの人々、ことによると私たちも、なぜ人には「できること」と「できないこと」があると思っているのか。
創世記の蛇のセリフ。
お前には足りないものがある。
お前は不十分。
お前には「できること」「できないこと」がある。
蛇の言葉に唆され、それが本当だと信じている。
自分が不十分だと思うものは何をするのか。
善悪の知識の木の実を食べる。
自分の足りないものを補う。
自分以外のもので自分を補強する。
自分以外の頼りになるもの、力になるもの、それにしがみつき、握りしめ、執着、固執する。
人が頼りにし、依存し、執着するもの。
それが偶像。
神とは何か。
世界に何も欠けたものをお造りにならなかった方。
世界を完璧に仕上げ、良しとされた方。
信仰とは何か。
世界は完璧
何も不足していない。
できる、できないがないところ。
全部が良い。
それを信じる。
神を信じる。
そこには偶像など入り込む隙間はない。
だがこの世界は偶像で溢れかえっている。
数字、常識、規則、予測、計画
これがあればあなたの足りないもの、不安を補えると。
現代にある「善悪の知識の木の実」「偶像」
我らは今週、それらとどう向き合うのか。
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