7月27日 主日礼拝
7月27日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
会議の決定と言えば絶対的なもののはず。
ところがパウロはそれを軽んじるかの行動をとる。
会議とパウロ
対立しているのか、それとも他に何かあるのか?
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使徒言行録16章1-5節
エルサレム会議とはなんだったのか。
会議で一致を見る。
その会議の直後、パウロとバルナバは仲違いをする。
会議で異邦人には規則を押し付けない。
割礼を強要しない。
その決定の直後、パウロはテモテに割礼を受けさせる。
パウロは会議を無視したのか。
軽んじたのか。
パウロの言動。
おそらくそれはエルサレム会議の内実を表したもの。
エルサレム会議で決まったこと。それをパウロは体現している。
割礼を強要しない。
割礼を勧める。
相反することが両立する取り決め。
何が決められたのか。
パウロ、バルナバ、彼らの行動のどこが会議を引き受けたものなのか。
パウロ、バルナバ、自分の信じたことを行う。
パウロはテモテに割礼を勧める。
自分の信じたことを行う。
エルサレム会議で決まったこと。
異邦人に何も強制しない。
それは表現を変えるなら
「自分で決めろ」
過去の習慣。
規則、風習、常識
引き受けるも、批判するも、自分で決めろ。
私たちはなぜ自分で決めることに戸惑うのか。
規則に従うことが大事だと考えるのか。
怖いから。
失敗したらどうしよう。
責任が自分に及んだらどうしよう。
この発想に「世界は良い」との世界観はあるのか。
世界が良いと信じていないから失敗、責任が怖くなる。
世界が良いと信じているなら失敗も、責任も大事ではない。
エルサレム会議、パウロたちに「世界は良い」を教えた方。
イエス・キリスト
人々の誤解、嫉妬、企み、その結果、命を落とす。
勘違いで死なせてしまった。
殺さなくていい方を殺してしまった。
その三日目にイエスは甦る。
大いなる勘違いはそれが結論ではない。
復活がなければ取り返しにつかないものがある。
その責任は自分で負わなければならない。
失敗は一生自分が背負わねばならない。
だがそれは真の世界ではない。
失敗、罪、その次がある。
世界は良い。
それが真の世界。
ならば他人に、過去に、何かに怯えて生きることはない。
自分で決められる。
世界を信じて、自分で決める。
エルサレム会議で決まったこと。
矛盾、整合性、前例
そんなものはどうでもいい。
自分で決めろ。
教会はこの会議の決定から生まれた。
私たちの教会は会議の決定を継承しているか。
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