8月3日 主日礼拝・平和聖日
8月3日 主日礼拝・平和聖日
礼拝説教
伊藤大輔牧師
使徒言行録16章6ー10節
夢とはなんでしょうか。
眠っている時に見る夢。
将来を語る希望を語ることも夢と言われます。
全く違うところにあるものですが同じ表現「夢」で表されます。
夢てなんでしょうか。
パウロは夢を見ます。
その夢を信じて出かけていきます。
異邦人のところに出かけていく。
少し前には考えられなかったことです。
神様のことが分かるのはユダヤ人だけ。
神様を信じられるのはユダヤ人だけ。
みんなそう思っていました。
ところがペテロがローマの軍人コルネルウスに神様のことを話す。
イエス様について話す。
すると彼らは皆、信じた。
異邦人にも神様への信仰が生まれる。
ここから教会の異邦人への伝道が始まります。
これに伴って、ある議論が生まれます。
異邦人にも律法、ユダ人が守っている規則を守らせるべきだ、という主張し出すものが出てきます。
ペテロ、パウロはこれに反対をします。
神様を信じることと規則は関係ないと。
議論の末、異邦人へ律法を強要することはなくなりましたが、
それはイエスを信じる群がいよいよユダヤ教と袂を分かつことでもありました。
律法を重んじないものたち、異邦人と関係を深めていく。
それはもはやユダヤ教では容認できないものになっていました。
ユダヤ教から離れていく。
教会が生まれてきました。
大きな変化が起こりました。
大きな変化。
そのきっかけになったのはペテロのローマの軍人への訪問です。
ペテロがそこを訪ねた理由、それは夢を見たからです。
夢を見て、そこに行けと言われたのでペテロは彼らに会いました。
きっかけは夢です。
夢てなんでしょうか。
イエス様が生まれる時、マリアの赤ちゃんが誰の子かわからない時、別れようと思っていたヨセフがマリアと結婚をします。イエスの父親になります。
ヨセフにその決断をさせたもの、それは夢を見たからです。
イエス様の誕生、その大きな変化があるところにも夢が働いています。
夢てなんでしょうか。
寝ている時に見るもの。
自分の未来について思い描くもの。
その二つが何故夢という同じ表現で括られるのか。
夢、それは自分以外には分からないものだからです。
自分にしか分からないもの。
自分にか見えないもの。
誰も、それを一緒に見たよ、とは言ってくれないもの。
自分だけのもの、それが夢です。
聖書では大きな変化がある時「夢」が登場します。
夢、それを見たものだけ、それを信じたものだけ、
その一人が行動を起こす。
その時、世界は動き出します。
宗教の話、キリスト教の話ではありません。
人類の話です。
現実の世界の話です。
世界が動く時、変わる時、夢がそこには必ずあります。
今日は平和聖日。平和を覚える日です。
なぜ戦争が起こるのか。平和が崩れるのか。
みんなが怖いという。
みんなが悪いという。
みんながそうだという。
みんなが、みんなが。
みんながという時、「夢」はどこにありますか。
夢がなくなった時、戦争が起こります。
世界が怖い。
当たり前です。誰もが思います。
でもそこで創世記の神話「世界は良い」。
この神話を誰もが「そうだ」とは言わない。
でもそれが私の夢ならば、それを信じるしかない。
イエス・キリスト。
誰からも「そうだ」と言ってもらえず十字架で生涯を閉じた。
ただイエスは自分の信じた道を歩んだ。
夢を信じた。
神は世界は良いと言われた。
それは私の夢も良いと言われていること。
ならば何故、夢を捨てるのか。
みんなの中に埋没、葬り去るのか。
私の見た夢。
私しか知らない。
私しか見えない。
みんなと違うから間違っているではない。
私にしか分からない。
それこそが大切。
私が見たもの。それを信じる。
夢を信じる。
世界を未来につなげていく。
平和を作っていく。
夢。
この世界に掛け替えのないもの。
私も同じ。あなたも同じ。世界に一つだけのもの。
一つだけのものが世界に命を吹き込んでいく。
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