8月10日 主日礼拝

8月10日 主日礼拝

礼拝説教

伊藤大輔牧師


使徒言行録16章11-15節

自分の計画、予定が思い通りにいかない。

パウロたちは伝道旅行で何度も経験をした。

使徒言行録は何を描こうとしているのか。

世界を描く。

この世界は自分の思い通りになるものではない。

自分が正しいと思っているのと、同じくらい、私の正しさと違うものを正しいと信じているものがいる。

あたかももう一つの世界があるかのように、この世界には別のものがある。

異邦人世界。

そこはユダヤ人のパウロたちにとっては別の世界。

別の世界だからこちら側のものが通じるとは思っていなかった。

神様、イエス様の言葉。こちらの世界観が通じるとは思っていなかった。

ところがそれが通じた。

こちらとあちら。

それが接点、共有力があった。

私たちの現代でも同じことが日常的に起こっている。

個人から始まり、組織、民族、国家、

ことらとあちらは別の世界だと思い込んで生活をしている。

使徒言行録の語る物語。

その異なる世界はいずれ必ず直面しなければならない。

どういう形にせよ、異なる世界は必ず接触する。

私たちはその時どうすればいいのか。

新しいものをなんでも受け入れればいいのか。

あるいは自分たちの価値観を押し通せばいいのか。

怒り、衝突、戦争は異なる世界との接触の緩和性の欠如から起こる。

異なる世界は本当に異なるものなのか。

ペンテコステの朝に起こった出来事。

使徒たちが外国の言葉を語り出した。

使徒たちは外国の言葉を聞き分けることができた、ではない。

自分の言葉として、自分の体で、外国を表現した。

自分と異なるものに自分自身がなった。

この使徒たちがやがて異邦人伝道を展開していく。

外国を体の中で、自分で経験をしたものたちが異邦人伝道、異なる世界と接点を結んでいく。

異なる世界とどのように接触をすればいいのか。

ペンテコステの朝に使徒たちに降った聖霊。

新しいものではない。

人類の初めに神から吹き込まれたもの。

すでに備わっているもの。

すでに私にあるものを思い出す。

懐かしさ、本当の私が親しみを覚えるもの。

文化、風習、富、名誉、社会の中で自分が身につけたもので判断をするのではない。

本当の自分。

この世で作られた自分ではなく、神が造った本当の自分で世界と向き合う。

そこにあるものは異なるものか。

私の中にもあるものか。

私自身か。

異なる世界とパウロたちは直面する。

その伝道は自らを知る、自らを思い出す旅でもある。

この世界は本当に異なるものの集合体なのか。

それとも同じものを持っていながらそれを忘却してしまっている群なのか。

自らに問えば自ずと世界の姿を見ることができる。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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