9月7日 主日礼拝
9月7日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
使徒言行録17章1-9節
テサロニケで伝道するパウロ。
ここでもパウロはユダヤ人の反感を買う。
パウロを捕らえようとするユダヤ人たち。
だがパウロを見つけられない。
その腹いせにパウロと親交のあったヤソンを捕らえて当局者に差し出す。
何もしていないヤソン、すぐに釈放はされる。
その間にパウロは次の町に辿り着くことができた。
ヤソンがしたこと。
パウロたちの身代わりになった。
身代わりのモチーフ。
聖書には頻繁に登場する。
身代わりとは何か。
私が寿司が食べたいと考える。
魚屋、寿司屋に行けば、寿司は手に入る。
なぜ手に入るのか。
誰かが私の代わりに漁をしてくれたから。
誰かが私の代わりに調理をしてくれたから。
誰かが包丁を造ってくれた。
誰かがお皿を焼いてくれた。
誰かが、誰かが、誰かが、
誰かが、私の代わりに働いてくれたから今、私の前に私の欲しいものがある。
身代わり、代理。
それがあって世界は回っている。
誰もが身代わり、代理を拒めば世界は回らなくなる。
誰も漁に行かない。
誰も、ものを作らない。
代理するものがいなくなれば私の欲しいものは私が作らなければならなくなる。
それはこの世界のほとんどのものが消えていくということ。
誰かが私の代わりをしてくれる。
私も誰かの代わりをする。
そうして世界は回っていく。
だが、ただ誰かの代わりをすれば世界を本当に回すことに、未来を作り出すことになるのか。
弱い国が強い国に支配されている。
弱い国の代わりに戦おう。
泥棒が体力がなくて困っている。
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