一度死ぬ

2019年3月17日

森下滋伝道師

サムエル記下12章13-15節
コロサイの信徒への手紙2章16節-3章5節

 ペリシテ人との戦いに勝ち、全ユダとイスラエルの王となったダビデの所に、

預言者ナタンがやって来て神の言葉を取り次ぐ。

「あなたは死の罰を免れる。しかし生まれてくる子は必ず死ぬ」。

主を軽んじた不貞の結果は死ななかったダビデから取り去られない。


 パウロは言う。

「あなた達は裁かれてはならない」(v16直訳)。

そして「見下されてはならない」v18。

何故か。

私達はキリストの十字架による勝利にも関わらず、

生きている中ではスキがある。

ダビデの様に。


 v23は「肉に耽ることには全く価値が無い」と告げる。

それは一見宗教的に、或いは人間的に価値が有りそうな事に潜む。

私達の捧げる礼拝はどうか?

 v17で「これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります」とある。

私達は影に惹かれて影踏みをしている。

自分の後ろに光がある時には自分の前には自らの等身大の影が現われる。

私の姿。

実際に見たり大切にしている事を肥大化させた時、

それは影であり価値が無い。

こうして人は神に仕える天使を、神から離して崇拝し神の代わりとした。

哲学を神の上に置く事に喜びを得た。

 私達は「地ではなく上に注意を払い」

「一度死んだ私達の命はキリストと共に神の内に隠された」。

一度死んだのにも関わらず私達は何に耽るのか。

だから私達は「家庭、国家、社会、教会をも治める」必要がある。

上を向くのだ。

私達が地で影踏みに耽るとき、

教会に於いてキリストは今も十字架にかけられようとされている。

この世でまだ一度死んでいない者をイエス・キリストは十字架の上から招いている。

「ダビデはナタンに言った。

『わたしは主に罪を犯した。』

ナタンはダビデに言った。

『その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる』」。


キリストを信じて一度死ぬしかない。

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