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2019年4月28日

伊藤大輔牧師


創世記31章43−54節


ヤコブは兄エサウの受け継ぐべきものを奪う。

自分にないもの。

足りないもの。

それを奪う。

エデンの園のアダムとエバ。

蛇に「お前たちは不十分」と吹き込まれ神との約束を破ってしまう。

自分は不十分、それゆえ執着、獲得を実行する。

その結果、アダムたちは楽園を追われ、ヤコブは家を出なければならなくなった。

人の姿がここにある。

人は本来の場所を執着によって失う。


本来の場所、どのようにてして人は帰ることができるのか。

物語はヤコブが家に帰る決心をした場面を迎えている。

ヤコブは叔父ラバンの家を後にする。

ラバンに気が付かれないように家を出る。

何度も約束を破られてきた。

ラバンとの交渉の余地はないものと判断し密かにヤコブは一家で逃げ出す。

その際、妻のラケルが父ラバンの「守り神の像」を持ち出す。

ラバンはヤコブ一家を追跡しついに捕える。

「家に帰ることは良いとしても『像』を盗み出したことはまかりならん」

とヤコブに詰め寄る。

何も知らないヤコブは

「像」を自分たちが盗んだのならどのようにしてもかまわないと反論する。

結果、何も見つからずヤコブはラバンから逃れることに成功する。

このラケルの行動は物語の中でどんな働きをしているのか。


ひとつの推測を試みてみる。

ラバンとラケル、父と娘。

お互いのことをよく分かっている。

ラバンは「像」を盗み出したのはラケルだと気が付いていたのではないか。

ラバンが追い付いた時、

「像」を差し出せばラケルは父の所に帰ることができる。

帰りたいとの意思表示になる。

ラバンはラケルの天幕で「像」の捜索を始める。

そこでラケルは「像」を隠し通す。

父と別れる。

夫ヤコブと共に行く。

その現実をラバンは引き受けヤコブと契約を交わす。

契約の地の呼び方でラバンとヤコブは異なっていた。

だがラバンがヤコブの呼び方を了承する。

 

人はどのようにして本来の場所に帰れるのか。

ラケル、ラバンのやり取り、

それをヤコブは何も知らない。

元の場所に、

本来の私に戻りたい。

神に祈る。

神様と私との関係でそれをなしてくれると私たちは期待する。

神の計画、神の御心。

私の知らない所でも進められている。


私が見えるところ、

そこでは何も起きていないかもしれない。

予定と反対のことばかりが起こっているかもしれない。

だが見えないところで守られている、支えられている。

私は気づいていないが、私は何も不足していない。

帰る。

到着する。

その旅はすでに進んでいる。

見えない神の業に守られている。

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