神、戦う

2019年6月23日

伊藤大輔牧師 

創世記32章23-32節

 「神様とはどのようなお方か」

「神様の祝福とはどのようなものか」。

私たちは信じている。

神様の御存在を。

祝福があることを。


イスラエルの民も同じ思い。

同じ期待を持っていた。


だが彼らは神様に選ばれた民だとの自覚がありながらも二度、大きな戦争に敗れている。

バビロニア帝国、ローマ帝国に敗れ悲惨な経験を味わっている。

神様がいるのならどうして私たちを助けてくれないのか。

神などいない。

その言葉はイスラエルで何度も叫ばれた言葉であろう。


ヤコブの物語はその現実を背景にしている。

安らぎの家庭でヤコブは問題を起こす。

兄のエサウがもらうはずのものを全て奪った。

兄の怒りを買い家を後にしなければならなくなる。

安らぎの場所を失ったヤコブ。

30年の年月を経てヤコブは故郷に帰ろうと決心をする。

怒らせたエサウと再会をしる前の晩、

ヤコブは神と格闘をする。


神とは何か。

聖書ははっきりと語る。

人が戦う相手だ、と。


ヤコブはこともあろうに神に勝ってしまう。

ただ、その時腿のつがいをはずされ動けなくなる。

神にすがりつくヤコブに対し神が語る。

「お前の名前は今日からイスラエルだ」と。

イスラエル。

「神の支配」「神の戦い」いくつもの解釈がなされる言葉だが神との直面を告げている。


 私たちと戦う神は何をなさる神なのか。

ヤコブに負ける神。

人の下になってくださる神。

子なる神、イエス・キリストは十字架にかかられた。

人に負け、人の下にくだる方。 


「神様とは」「神の祝福とは」何か。

神様は私たちに戦いを挑んでくる。

試練、苦難、神様がいないから起こっていることではない。

神様がいるから、神様と私たちは戦う。

戦わなければ分からない神のご性質がある。


祝福とは何か。

神様が負けてくださる。

かつてエバは蛇に「お前は神のようになれる」と言われ木の実を食べた。

自分は神でない。

神になるには不足しているものがあると自覚した。

それは蛇と人が作った世界観。


本当の世界は、神がお造りになった世界は、

神ご自身が私たちの下になって私たちを支えてくださるところ。


御子となりこの世界に下り、

十字架を引き受け人の下にくだられた。

人は神に支えられている。

人は何も不足していない。

その事実を知ることが「祝福」。


 イスラエルは二度の敗戦、苦難を通して世界のあり方を知った。

不足を覚えたとき、不足に怯えたとき、人は神からもっとも遠ざかる。

人の本質を忘れてしまう。

私は支えられている。

私に今も起こっている現実。 

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