愛は絆
2019年6月30日
森下滋伝道師
マラキ書1章1-5節
コロサイの信徒への手紙3章12-17節
韓国語を学習していると、形容詞の数が多く、
中国由来の漢字語ではなく固有語が発展している事に気づく。
感情、感覚、数、知覚、社会、天気、貧富、触覚など。
しかしこれだけ言葉の表現が豊かであると逆に誤解が生じる事がある。
反日反韓を煽る報道。
その一方で安い飛行機で日韓を飛び交う多くの観光客。
私たちの本音は何か。
他人への愛は何か。
他人や他者に対して本音が言えないなら、神に自らの心の全てを見せているか。
マラキは主の言葉を預かり語る。
人々は神への不満を訴える(v2)。
主はその不平にも対応する(v3)。
主はエドムの民の心の高ぶりを指摘する(v4)。
高ぶりを抑える事なく永久に神の怒りを受ける事となった民がいる。
主は命じる「自分の目で確認せよ」と。
それは「主は国の境を越えて大いなる方」である事。日本も韓国も、
あなたをも超えて大いなる主、私たちは何故主に従えないのか。
パウロは勧める。
「神に選ばれた者としてふさわしい様として」
「憐れみの愛情、良き事や謙遜、寛容と忍耐」という服を。
私たちは愛され続けている。
そして互いに我慢をし、互いに赦し合わなくてはならない。
例え不平があっても主があなたを既に赦したように赦すのだ。
更にそれら全てと共にこの「愛」を着るのだ。
この「愛」は絆、私とあなた、私と神を繋ぐもの。
完全なる絆である。
更に「キリストの平和があなた方の心を支配する」事が起こり、
またこのためにあなた方は「一つの体の中へと呼ばれた」のである(v15)。
それはどうやって起こるのか。
「キリストの言葉を豊かに住まわせなさい」と。
心を神に向けて「詩篇と賛美歌と霊的な歌」を歌い、
そして「イエスキリストの名によって父なる神に感謝をする」。
心の行い、言葉、全ての業を感謝する。
私たちの本音は何か。
口先だけの賛美や祈りを辞めよう。
愛したい者の為に自らを悔い改めよう。
愛する者の為に自らの不満は横に置こう。
互いに赦し合おう。
完全なる絆、
キリストの愛のみが私たちが着るべき新しい命の服である。
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