喜びをかぞえる

2019年7月7日

伊藤大輔牧師

使徒言行録20章13-38節

伝道旅行に赴いていたパウロ。

決意をする。

エルサレムへ戻る。

エルサレムに戻ることは投獄され苦難にあうこと。

それが分かっていながら「戻る」という。


キリスト者とは一体何者なのか。

死を恐れず神に仕える。

それがキリスト者か。

表現としてこれは正しい。

しかし心の持ち方として「しなければならない」があるとすれば、

それは主イエスの十字架、パウロの苦難とは異なったものになろう。


パウロがエルサレムに帰りたい理由。

五旬節が近いから。

「五旬節」「エルサレム」ペンテコステ、

教会の始まり。

パウロはそこに行くという。


聖書はどのようなしつらえになっているのか。

聖書の始め「エデンの園」。

すべてが整っている世界で人は蛇に唆されて自分には足りないものがあると信じ込む。

不足を補おうと、

神から「手を付けるな」と言われていた「善悪の知識の木の実」を食べる。

その結果、隣に生えていた「命の木」に触れることができなくなる。

この命の木は再び「黙示録」で登場する。

聖書の一番最後に再び現れる。

聖書のしつらえ、

始めに帰る。

帰るべきところに帰る。

イスラエルと呼ばれたヤコブも家を出て、その家に帰る。

始めに帰る。


「五旬節」「エルサレム」。

教会の始め。

パウロは帰るべきところに帰ろうとしている。

投獄があり、苦難がある。

だがそれが何か。

人の帰るべきところ、エデンの園。

それは何も不足のないところ。

命も不足しないところ。

そこに行く。

ヤコブは家に辿り着く直前、神と戦った。

主イエスの十字架。

パウロの投獄。

皆、狭い門を通っている。

神の備えた真の世界を見ることができれば、信じることができれば、

行くべきところが見えてくる。


パウロは「しなければならない」では進んでいない。

「律法を守らなければならない」の時のパウロではない。


私が守ったから神の恵みが来る。

否、神は取引の相手ではないし、そもそも何をしようが神はわたしを大切にしている。

足りないものは何もない。

帰るべきところを見つけた時、

周りの説得にもかかわらずパウロは信じるところへと赴く。

投獄があり、苦難があった。

だが、帰るべきところにパウロが帰ったが故にパウロの記した手紙は保存された。

ルカはパウロの生涯を記録にとどめるべく使徒言行録を書いた。

帰るべきところに帰る。

大切なものが世界に残る。

パウロの話しだけではあるまい。

今日の私の物語がここにある。

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