心の割礼

2019年07月21日
森下滋伝道師

申命記10章12-22 
コロサイの信徒への手紙3章18-4章1
 女性は男性の奴隷なのか。女性は子供を産む機械なのか。男性は女性にとって何であるのか。これらの問いに真剣に向かい合ったことがあるか。自分が正しいと思うことを他者に理解できるように話すことが出来るか。伝えてきたか。選挙の投票率を見ても、女性差別の現状をみても、おそらくそれは出来ていない。虐げられるものは、声を奪われ、命に係わる危険に曝されたものがどうして声を上げることは出来ない。しかしやっとの思いで挙げた声に対して反対する者は多い。この根底にあるのは「私には関係ない」という根深い思い。この思いは自由へと向かう命の声を闇に引きずり下ろす。
 パウロの言葉に躓く私たちがいる。確かにパウロは「妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫につかえなさい」と命令している(v18)。しかしそれは奴隷のように無条件で無批判に仕えろという意味ではない。女性と主との愛の関係のように夫に仕える、奉仕するのである。女性がキリストの愛を受けているからこそ女性は主に従う。これが抜けているところで夫に従うことを求めているのではない。奴隷も人の目を気にするのではなく主が見られている事を意識して主人に仕える。おそらくその先には解放奴隷となることが考えられよう。
 申命記で主は「心の包皮を切り取る」事を求める(v16)。割礼を受けたものが、なぜ更に「心の包皮」なのか。主に対して、弱いものに対して「かたくなにならない」為である。v17-19で主は「弱い者を守る」ことを命じている。どうしたらこのことが行えるのか。主に従うとは「心にメスを入れる」こと。自分を捨てること。こうして「神から財産の報酬」を受ける。自分の思いが中心なら、その思い以上のものは得られない。
 メスを入れると傷がつく。血も出る。だから私たちは嫌だ。自分には関係ない。このままでいい。では主イエスは、十字架にかかる前に平然としていたか。血のような汗を流して神に祈った。しかし貼り付けられ絶叫して死んだ。私たちのために。男と女も。国と国も、本気で愛し合うのなら、まず「自分の心にメスを入れる」必要がある。主イエスが死なれたのは、「自分の心にメスを入れられなくて逃げ回る」私たちのためである。私たちを作り替えて新たな命を与えるメスは、主イエス・キリスト。私たちは弱きものを愛し守らなくてはならない。主によって心の包皮を切り取ろう。

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