神と向き合う

2019年10月13日

伊藤大輔牧師               

 使徒言行録24章24-27節 

大きな台風。

たくさんの被害が生まれた。

困惑している者、心配、不安、絶望している者がいらっしゃる。

この現実に対して私たちキリスト教は何ができるのか。

また今日は神学校を覚え伝道とは何かを考える日。

この「被災」「伝道」は重なり合っている。 


聖書の成立。

それは敗戦の経験が動機となる。

旧約聖書はバビロニア帝国と、新約聖書はローマ帝国との敗戦体験から生まれた。

「神様を信じていたのにどうしてこんな目にあるのか」。

そこから神とは何か、信仰とは何か、を問い始めたのがユダヤ・キリスト教、

聖書の原点。


 今日の聖書。

パウロは捕らわれて裁判にかけられる場面。

ローマの総督フェリクスは休廷中、パウロを訪問する。

話が核心に触れるとその場を退く。

フェリクス、実はパウロの言葉に相当心動かされていた。 


パウロの裁判。

身に覚えのない濡れ衣。

私たちはこのパウロを不憫に思う。

パウロはさぞ無念であったと想像をする。

だがこの物語を冷静に読むとパウロはむしろこの事態を想定し、

喜んでいるようにも感じる。 

私たちは「伝道」と言うと、

宣伝をして礼拝堂に人を呼び込むことを「伝道」と考える。

それに比べパウロは完全に晒し者状態、敵意の中に置かれている。 

パウロが相手をしているのはフェリクス・ローマの総督。

主イエスが直面したピラトもローマの総督。

パウロも、主イエスと同じ場所に立たされている。

ここにパウロの意図がるのではないか。

主イエスも直面したローマ総督。

パウロもその地位のものに直面する。

主イエスはその者と直面し十字架へと追いやられた。

そしてパウロも主イエスと同じ道を辿ろうと決意する。

そこにはパウロが見出した主イエスの足跡がある。

帝国の総督、

世界の中心を撃つ。

総督との直面、

そこからやがてはローマ皇帝へと標準を定めていく。

 彼らは福音を応援する者ではない。

聞いてもらえなくても、

退けられても、

何度でも同じところを撃つ。

「門を叩け」

「必ず開く」

は主イエスが勧めている通り。

フェリクスの心はすでに瓦解寸前。 


大きな災害。

伝道。

実は同じなのではないか。

圧倒的な現実と直面しても、

その先へと思いを馳せ、力を注ぎ込む。

この結果、福音は世界へと広がった。

被災した私たちも目の前の「門を叩く」。

諦めない。

「復活」

必ず現れる。

実現する。


この国の

私たちの希望。 

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