神の備え

2019年12月1日

伊藤大輔牧師 

ルカによる福音書1章5―25節 

 今日からアドベント、クリスマスを迎える一ヶ月が始まる。

私たちはクリスマスを喜ぶ。

恵みがあるという。

そのクリスマスとは何なのか。

クリスマスに生まれたイエス・キリストとは一体どういう方なのか。  


聖書66巻は一つの課題に向き合っている。

楽園で語られ、その後それが人間の正義となった蛇の言葉。

「お前には足りないものがある。それを補え」。

善悪の知識に木の実。

正しいと間違いがわかるもの。

試験のヤマも、ギャンブルも、投資も、白黒がはっきりわかる。

負けなしの人生。

だれしもが欲するもの。

だが神はそれを食べると死んでしまうと告げている。

善悪の知識、

人には扱いきれぬもの。

欲して、足りないとがむしゃらに頑張っても、

結果は争いであり、環境破壊。

それでも私たちは止めることができない。


聖書66巻はこの人の心に問いかける。

どうしたら蛇の言葉を乗り越えることができるのか。  


ザカリアとエリサベト、子どものいない夫婦。

足りないものがある。

それを補おうとしていた。

アダムとエバの子供達。

ガブリエルが現れ彼らに告げる。

「子どもが生まれる」と。

足りないものがない世界が始まろうとしている。

それをザカリアは信じられない。

それに対してガブリエルは彼の言葉を奪う。

口がきけなくなる。   


言葉。

聖書において言葉は世界の基底をなすもの。

世界の基底が奪われる。

言葉がなくなる。  


エリサベトは子どもが宿ったと気がついてから五ヶ月黙っていた。

その後、自分に十分なものが与えられていると喜びを語る。 


「あなたには足りないものがある」。

この言葉を乗り越えるに必要なもの。

言葉を捨てること。

黙ること。

私の正義、主張を繰り返しても蛇の言葉の世界で生きるだけのこと。


黙る。

捨てる。


何が生まれるのか。

それを想像することも言葉を用いること。  


五ヶ月沈黙していたエリサベトは、満ち足りた世界に有り様を語った。

何が起こるのか。

蛇の言葉と違う世界にたどり着くことができる。  


クリスマスの生まれた主イエス。

十字架で亡くなった。

神の子としての身分を捨てて、ただ神に従順に、人の罪の前で黙された。

「足りなくなるぞ」。

死の現実。

この揺がしがたい現実に対し「復活」で答えられた。

主イエスを信じる。

蛇に勝てると信じる。

アドベント第1週、

黙るから始めたい。  

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

0コメント

  • 1000 / 1000