足跡の上に

2020年1月26日

伊藤大輔牧師      

創世記35章16-29節  

ヤコブの物語、その前半が終わろうとしている。

今日の聖書は二つ出来事を記している。

ヤコブと妻ラケルの死に際での子供の名前を巡っての出来事。

もう一つは長男ルベンが父親の側女ビルハと寝たこと。  


族長物語はひとつの家族の記録が記されている。

これは史実として読まれることが期待されている物語ではない。

史実ではないがリアリティが記されている。

いつでも、どこでも通用するリアリティ。

ラケルの死、子供達のこと、ここに語られているリアリティとは何か。  


ヤコブはこれまで読んできたように散々な人生を歩んでいる。

家を追い出され、身を寄せた叔父の家でも都合よく利用される。

予測もしていない事態に次から次に直面する。

自分のスケジュールと現実が全く折り合わない。

それは私たち誰しもが経験をすること。

驚き、失意し、絶望する。

予定と現実の乖離。  


長男ルベンの不祥事、

この顛末は歴代誌上5章に記されている。

ルベンの行為が元でルベンの母レアから産まれた子供たちには長子の特権が移譲されない。

変わってラケルの子供ヨセフに譲られた。  


ヤコブは思い通りにならない人生を歩んでいた。

愛した女性ラケルと結婚し、子供たちに自分のものを譲りたい。

だがそれはラケルの姉レアとの強制的な結婚で阻まれた。

ところがルベンの不祥事によってヤコブの願いは思いもよらぬ形で実現する。  


ヤコブは兄エサウを怒らせたことにより家を追い出される。

長い年月を通してではあるが、

エサウに許され父イサクの葬りは兄弟で行うことになった。

予想もしていない形で実現する。  


ラケルは難産の末に産まれた子供をベン・オニ「苦しみの子」と名付けようとした。

だがヤコブはこれをベニヤミン「幸いの子」と名付けた。

ここにヤコブの世界観があるのではないか。   


人は確かにスケジュールと違う現実を突きつけられる。

それは不幸だと判断する。

ヤコブは確かに不幸を体験した。

スケジュールは全部破綻した。

だが、彼の思い描いたこと、

願いはことごとく実現した。

この世界は苦しみの場所ではなく幸いな所だ。  


私たちの予定は達成されない。

だがそれで絶望するのはまだ早い。

神の備えがある。

私たちが絶望している時に神は笑っているのかもしれない。


「すぐそばに全部あるのに」


聖書が語るリアリティ。

ここは幸いな所。

心をあげて確かめたい。 

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