4月19日

伊藤大輔牧師

ヨハネによる福音書20章24ー28節


【9時礼拝(教会学校)】


甦ったイエス様が弟子たちの前に現れます。

ただ、一人、トマスはその時、みんなと一緒にいませんでした。

ですからトマスはイエス様が現れたことが信じられません。

仲間の弟子たちに言います。

「私は、その人の手の十字架の釘痕に

脇腹の、槍で突かれた痕に

この指を差し入れてみなければ、決して信じない」と。


トマスの考え方はとても普通です。

「イエス様だ」と言うことを知るためには

「指で触る」と言う自分の納得するものを通らなければダメだ

という発想です。


普通のことです。

ちゃんとした「手続き」を経なければ「目的」には到達できない。

誰しもが行っています。


歌を上手に歌う、という目的のためには

スポーツ大会で優勝という目的のためには

幸せになるという目的のためには

「練習」「努力」という手続きが必要だと。


そして思っています。

「手続き」を通らなければ「目的地」には、たどり着けないと。


私たちの世界は幸せになるための「手続き」が整理されていました。

「これこれのもの」を手に入れれば幸せになれますよ

ちゃんと手続き通り進んでいました。

ところがコロナウィルスの流行のため「手続き」がうまく行えなくなってきました。

私たちは「目的地」にいけないかもしれない。

そんな不安を抱くようになりました。


「手続き」が必要だ。

そう言っていたトマスの前にイエス様が現れます。

その時、トマスは「指を入れてもいいですか」などとは聞きませんでした。

「神さま」

ただ、そう言ったのです。


私たちにとって必要なもの

大切なもの

それは手続きなどを行わなくても目の前にありました。


人が準備していた「手続き」は、これからどんどん壊れていくかもしれません。

でも、私たちにとって大切なもの

それは必ず、私の前に現れます。

私と一緒にあります。

大丈夫です。

心を落ち着け歩んでいきましょう。



【10時30分「主日礼拝」】


弟子たちは扉に鍵をかけて集まっていた。

そこにイエスが現れる。

その場に居合わせなかった弟子の一人トマスはそれを信じない。

「この指でその者の釘痕を確かめなければ」


主イエスと出会った弟子たち

そこにいなかったトマス

意見がぶつかってはいるがその世界観は同じ。


ヴァーチャルリアリティという言葉がある。

仮想現実と翻訳されるが

その内容は人が作り出したものにもかかわらず現実との区別がなくなる。

現実と思い込む。

いわば「人工的現実」がヴァーチャルリアリティの内容となっている。

さすれば我々の現実はほとんどがヴァーチャルで成り立っている。

体温を維持する衣類

生活に必要な環境

紙と鉱物で出来たものに、価値を持たせる。

人工的に作り出した物

ヴァーチャルに取り囲まれている。


私たちの現実は、自分たちの作り出したヴァーチャルが今、崩れるかもしれないという不安と直面している。

聖書は戦争を知っていると前にも述べた。

この宗教は「神さまを信じていれば幸せになれる」と語るものではない。

戦争

敗北

神を信じていたのに戦争に負けた。

神を信じていたのに財産を失った。

家族を

国土を

何もかも失った。

「神などいない」

その体験から生まれたものが聖書


彼らはヴァーチャルが崩壊するのを知っている。

自分たちの予定など吹き飛ばされるのを知っている。


弟子たちは鍵をかけて閉じこもっていた。

怖いものがあるから

それに見つけられないように自分たちで作った環境に閉じこもっていた。

トマス

自分の流儀

それを経なければ何も受け入れない、と自分の世界を誇示していた。

予定調和

自分、人が作った世界で生きていける

生きなければならないと思っていた。


イエスは鍵のかかった家の中に入ってくる。

トマスは予定調和を忘れ言葉が突いて出る。

「私の神よ」


皆、予定通りにはいっていない。

予定が

ヴァーチャルが崩れた時に何が現れたのか

リアルが現れた

人の命となるものが

人の源が現れた。


ヴァーチャルが崩れ、リアルと出会う

キリスト教だけの事柄ではあるまい

長き時間を通して

広く宣べ伝えられるものは皆、この出会いを知っている。


キリスト教に限って言うならば、このリアルとの出会いは

2000年語り伝えられ

この星にいる77億人の内、23億人の心で大切にされている。


予定調和が崩れる

私たちは恐れている。

だが、ヴァーチャルの後にリアルを私たちの祖先は見出した。

見出して、リアルを糧に生きてきた。

生きて遺伝子情報の中に蓄えてきた。


この先、世界はことによると人口も減少するかもしれない。

平均寿命も今より短くなるかもしれない。

100年、200年、地球は後戻りするかもしれない。

そうであったとしても私たちは必ず「本当のもの」と出会える。

「大切なもの」を見出せる。


リアルとの出会いのために

心、騒がせることなく

この現実を耐え忍んでいきたいと思う。



日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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